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2月議会が終わった。市長選のしこりが多少薄れたか。それにしても議会は与野党意識が強い。
与党意識全開で前市長を擁護していた会派議員の発言はときとして素直にそれを物語る。「野党になったから、これからは是々非々でやる!」「えっ、では今までは市長擁護?」それが与党の使命というつもりだったのか?
そう言えば、「旧与党会派」は政策面でもこれまでの主張とは真逆のことを言い出したことがある。やっと本音が言えるようになったということか。
いずれにせよ、対市長との与野党関係が議論のベースであってはならない。その意味でも長期政権に「NO」を出した市民の判断は正しかった。市長の交代はしがらみ払拭、議会の活性化に向けた第一歩。それをさらに進めるのが12月議会で制定されたばかりの議会基本条例の存在だ。条例の内容に恥じない議会を作るのは議員各自の自覚と市民の厳しい目以外にない!
(2009年9月) 「自分の選挙より力が入っている」などと仲間に言われながら臨んだ市長選挙。「もう市長を変えなければどんなにがんばっても市民の声は届かない」と、10年間の議会活動のなかで感じ続けてきた。
会派として清水候補と政策についての意見交換をした。私の主張と重なり合うものが多かった。 「補助金の見直し」「住環境を守る高さ規制」「公園面積の拡充」「介護体制や子育て環境の充実」「教育改革」「市民の知恵・力が活かされる参加・協働のまちづくり」……葬られてきた政策が甦るチャンスととらえた。 新市長への期待は大きく膨らむが、議会には議会としての責任がある。今こそ、与党でも野党でもない議会本来の機能の復活が問われている。また以前と同じ体制を作りあげてしまうのでは政権交代の意味がない。「CHANGE」したあとの責任は大きい。国会もまたしかり!だ。 (2009年3月) 選挙のたびに、多くの方から「誰を推薦するの?」と聞かれます。これまでは個々の候補者の特徴その他をお知らせするのみで、各自の判断に委ねていました。しかしながら、この度の市長選挙だけは積極的な選挙応援をすることにいたしました。その理由はただ一つ。現職18年も続く政権を終わらせ、私が求めてきた市民の視点でさいたま市の課題に取り組めるトップ・リーダーを誕生させるためです。今回、また現職が再選されれば、これまでの市政の硬直化や体制の癒着はさらに進み、急を要する行政の改革はさらに遅れることになります。私が議員として在任してきたこの10年間に、市民要望を踏まえた様々な政策提言をしてきましたが、理解ある現場職員の賛同は得られても、最終的なトップ判断で実現しないという例が多々ありました。今度こそ、さいたま市を変えなければとの思いを今更ながら強くしているところです。 細川邦子 2009.3.10
(2009年1月)
議員の海外視察不要論を唱える人が結構いる。その理由は主に二つあるようだ。一つはお金のムダ、もう一つは、法律・制度の違う外国へは視察不要ということらしい。
お金の問題なら、国内視察には絶対にムダがないのか。地方分権時代の今、都市の自立と質の高い市民生活を担保できる政策立案が求められている。そこに調査・研究、先進事例の視察は欠かせない。対象が国内になければ海外にも目を向ける。国際都市をめざす政令指定都市として、自ら全国の先進事例になるような積極性が必要ではないのか。さいたま市がAED設置で全国の先陣をとっている背景にも海外視察が活きている。
視察には明確な目的、企画、調査報告、政策提言が欠かせない。その評価で視察の要・不要を語ってほしいものである。国内視察であろうと海外視察であろうとも…。
(2008年9月)
10年前、議員になって驚いたこと。市民の常識とちょっとちがう前例・前踏主義の議会運営。なかなか見られない議員同士の自由・闊達な議論。行政(市長)主導を是認するような過半数を占める与党体質…。問題を指摘しても賛同者は少なかった。それが今年は一転して議会が改革ムードに変わり始めた。
全国ではすでに改革路線にある自治体が増え続けている。地方分権、地方自治、住民主権、そして「議会は住民の代表機関」であるという原則論がやっと骨格を成してきた。行政をしっかりチェックし市民の視点でものをいう自立した議会、わかりやすい議会、議員間の自由な討議等々、「改革」と言っても、その中身はあたりまえのことばかり。
「改革」が動き始めた背景にあるマスコミや世論の力は大きい。しかし、改革を実行するのは議員たち。その議員をしっかりとチェックするのは市民以外にいない。どの世界も厳しいチェックがあってこそ、その質が保たれる。
なにはともあれ、やっと動き始めた改革の大きな流れである。市民の心に届く議会をめざしたい。それこそが改革のめざすところ。
(2008年1月)
マイケル・ムーア監督の映画「シッコ(sicko)」が話題になった。アメリカでは日本のように「国民皆保険制度」がない。個人や企業が民間の医療保険を買うわけだが、治療費がすべて支払われるとは限らない。営利を目的とする民間の保険会社は採算に合わない医療行為の申請を容赦なくはねつける。さらには人口の1〜2割はその保険にさえも加入していないという。
リアルなドキュメンタリータッチにムーア監督の体制批判が光る。日本では信じがたい先進国アメリカの現状が紹介されている。基本的にだれでも医療保険の恩恵を受けられる「国民皆保険制度」や救急車を無料で使えることのありがたさを再認識させられた映画である。
その国民皆保険制度だが、財源不足の課題を抱える一方、昨今の年金問題の陰で、アメリカのように民間保険会社参入の議論が浮上していることは見逃せない。
(2007年9月)
亥年は選挙のあたり年。選挙でどの候補者を選ぶか、その基準はいろいろあると思うが迷う人は多い。候補者の実態がわからないという。人柄はわかっても政治姿勢や力量がわからない。その反対もあるし、情報が届かない場合もある。同時に、義理や政党名だけで動く場合もある。そう考えると、自信をもって投票できる人は幸せな有権者になるのかもしれない。
議員に求められるさまざまの要素の中で欠かせないものは何だろうか。政治家としての資質と情熱、問題意識と政策能力、有権者へのアピール、人格、人生経験…?
わたしは、良識ある市民としての人間性こそが、議会人としての命であると思う。所属政党や政策は大事なことには違いない。しかし 議員個人に市民、国民としての良識、倫理観がなければ、それらはまったく無用の長物と化してしまう。
わたしは常に自分を厳しくチェックできる議員でありたい。議員になって以来8年、議会内外のできごとから日々痛感してきたことである。
(2007年1月)
最近マスコミで、議会の常識と市民意識の乖離がクローズアップされている。議員は市民の代表として選ばれ、議会が市の唯一の意思決定機関であることを考えれば、市民の「当たり前の感覚」が通じてこそ議会の存在意義がある。
4年に一度の選挙では誰もが耳あたりの良い文言を並べることは簡単だ。しかし、政策同様大事なことは、議員の市民としての良識、政治姿勢と倫理観である。
今話題になっている「政務調査費」問題はその一端を覗かせる。税金から議会の各会派に支払われているお金である。使途については全領収書を添付するのが当然だと思ったが、この論理はさいたま市議会で却下された。自らのチェックが出来ない議員に行政の透明性を求め市政をチェックすることは倫理的にも物理的にも難しい。そこに気づき始めた市民の力を期待したい。
(2007年1月)
高齢者にとって地域でのゴミ当番が負担になることもある。仕事をもつ人も時間帯によってやはり負担に感じるという。一律の当番制は一見公平でも人間味がない。地域課題を改善するはずの取り組みがかえって人間関係を気まずくすることもある。行政は「ゴミ集積所の問題は地域の相互扶助で解決を」と、自治会に委ねたまま不介入を貫く。
最近またゴミの有料化の議論がささやかれている。基本的にごみの問題は行政の責任だが、ゴミの量や環境問題への意識には個人差がある。そう考えれば有料化もうなずける。仮に有料化となるならば、その財源を工夫し、いっそのこと個別収集にならないものか。自宅前に出すゴミなら自分で管理すればよい。不心得なゴミの出し方も減るだろう。気まずい人間関係の心配も減るかもしれない。 =最近いただいたご意見から= (2006年8月)
地方分権、地方主権が叫ばれる中、自治を失った自治体がある。税収の30倍もの隠れ借金(予算・決算には出ない一時借入金)をかかえて財政破綻、「財政再建団体」になった北海道の夕張市だ。民間でいう「破産」である。「50年かかっても自主再建できないと見越した末の結論だ」と市長は言う。自分の住んでいるまちが破綻するなんて、だれが考えるだろうか。
「財政再建団体」になると政府による再建計画がなされ、市政は政府の管理下に置かれる。公共料金は値上げされ、必要最低限のサービス以外すべて停止されるという。
市民のためと言いながら、身の丈を超えた無謀な行政運営の結果が巨額な借金を作った。歴代市長の暴走、それを監視できなかった議会、そして彼らを選んできた市民。そのツケはなんとも大きい。
(2006年5月)
福岡市のDNA運動を視察した。「お役所的」と批判される市のDNAそのものを変えるという。職員自ら仕事の価値・意味を認識し「課題に取り組む運動」・・・なんて言うと難しいが、DNAをもじったコンセプトは明快である。D:「できる」から始めよう(できない、しない理由から探さない)。N:納得できる仕事をしよう(市民の納得を自分の納得に)。A:遊び心を忘れずに(ゆとり、人間らしさ、明るさを持って取り組もう)。福岡市の試みは、今年で5年目。
DNA運動は全庁的に広がり、たくさんのプロジェクトが生まれた。市長や市民の前で成果を競い合う「DNAどんたく」は1,000人近い賑わいだという。「市長自らの旗振り・応援が職員の『やる気』をアップさせているのは間違いない」と言い切る職員のコメントが心に残る。 …。
(2006年1月)
スーパーアリーナで成人式に出席した。新成人の数ざっと一万人。成人式は敗戦の翌年蕨市で、虚脱状態の若者を励まし町再建の夢を託して始まったのがその起源だそうだ。 一変して、今、集う若者たちの晴れ着姿はあでやかである。だが彼らもまた、「日本の再建」を背負わなければならないのかもしれない。 国の破綻的財政状況に多くの人はまだ実感がない。 国は今の生活を維続するために借金を繰り返し、とうとう年収の20倍近い借金をかかえ世界一の借金大国になってしまった。 このつけを次世代に残して若者に夢を託せるはずがない。収入に見合った生活をするのは大人としてあたりまえのことだったはずなのに …。
(2005年11月)
戦後3年間のベビーブーム、「団塊の世代」がクローズアップされている。その数ざっと680万人。2007年から大量の団塊の世代の定年退職者が世にあふれ出る。日本の高度成長を支えてきた彼らが組織を離れどこに落ち着くのか。そのパワーと能力が地域に根ざしたら何かが起きる。「会社」の人から「社会」の人へと発想の転換がカギになりそう。 今、定年を迎える団塊の世代の地方政治進出を支援する動きが全国で起きているという。国会が若返りをめざす中、地方議会に社会経験・企業経験ともに豊かな団塊パワーが炸裂するのもおもしろい。 今後20年で本格的な少子高齢社会になる。そして今また再活用の時代でもある。あらたに団塊の世代が果たす役割はまだまだありそうだ。 うーん、そういう私も団塊の世代…。 (2005年8月)
スーパーなどでもらうレジ袋が有料になるかもしれない。 環境省の容器包装リサイクル法改正にむけた中間報告への一般市民の意見募集が終わった。 レジ袋の無料配布禁止や産業界によるリサイクル費用の一部負担などが盛り込まれている。 秋には最終報告がまとまり、改正法案が来年の通常国会に提出されるそうだ。 果たして、レジ袋の姿が少なくなり、代わりに格好いいスーパー用のマイバッグなるものが流行るのだろうか。 だが、仕事帰りの買い物客が増える昨今、マイバッグを持っての通勤はたいへんそう。 きっと有料でもレジ袋の便利さを求める人は結構いるに違いない。 当面はかばんに再利用のレジ袋を忍ばせておこうか。 (2005年6月)
急速な少子・高齢社会の到来で年金制度など将来の社会保障基盤が揺らいでいる。女性の社会進出にともない低下した出生率を上げるため、子育て支援政策が打ち出されているが芳しくない。 自治体は保育園への待機者解消や時間外保育などの施策や、家庭で保育している母親への支援策として子育て支援センターの整備など保育施設整備を進めているところが多い。すべて必要な施策であることには違いない。だがそれだけでは解決しない問題がある。 子育てしながら遠慮なく働ける職場環境になっているだろうか?はたして子育て後の女性の再就職は?夫の子育てへの協力は?教育費をはじめ子育ての経済的負担は?子どもが常時母親を必要とする期間はそんなに長くはない。出産・子育てで女性が抱く仕事など将来への不安や心身の疲労を減らし、子育てに専念できる社会環境を整えない限り出生率が伸びることはないかもしれない。 さて、再選された相川市長の掲げる子育て支援政策はどんな展開をみせるのだろう。 (2005年 4月) 自治体による企業誘致活動が全国的な動きを見せ始めている。国からの財源削減の中で、どの自治体もいかにして自主財源を増やすか頭を抱えなければならない。 さいたま市も例外ではない。特にこれまでは市税収の大きな割合を占めてきた市民の個人税が、団塊の世代の定年や少子化とともに落ち込んでいく。それでなくても法人税収が特に少ないさいたま市にとっては、新たな企業を誘致し税収を上げていくことは大きな課題になっている。 埼玉県はこの2年間に3,000社を訪問し100の企業誘致を目標にするという。自治体とはいえ、企業並みの戦略と目標設定、そして何よりも職員の営業マンとして自覚と情熱が求められる時代になった。政令指定都市さいたま市が競うのは横浜市など手ごわい相手ばかり。市長自らのトップセールスと官民一体となった取り組みが欠かせない。いよいよシティセールスに始まる自治体間競争の幕開けのようだ。 (2005年 2月) 受験シーズンである。日本の受験制度の功罪が議論されて久しい。日本の大学生の勉強時間は先進国と比較すると見事に少ないといわれる。先日もある有名大学の留学生が日本人学生は勉強しないと言って驚いていた。 仮に大学受験がなかったら日本の大学生の学力レベルはどうなるのだろうか。アメリカのように入学をやさしく卒業を難しくという声もあるが、それも日本の大学事情では問題があるようだ。 フランスでは大学受験に哲学の問題を出し、高校ではひたすら考える作業をさせるらしい。人間にとって知識は思考するための栄養源に他ならない。受験で知識を詰め込んでも自ら考える能力が備わらないと大学で学ぶ価値が薄れる。大学の質は日本の将来を左右するといっても過言ではない。入試の選考方法にも工夫が求められている。 (2005年 1月) スマトラ島沖の地震、津波の衝撃的な報道から早一ヶ月が過ぎた。20万人を越すとも言われる犠牲者を出したこの地震と津波は、同時に生き残った多くの人々の生活をも奪った。
ITで瞬時に世界中の情報が手に入り、地球の反対側でとれた魚や農産物が日々食卓にのり、他国で生じる環境破壊は私たちに無関係ではない。地球上のいたるところで日本人に出会い、私たちの家族や知り合いが世界のどこかで生活している時代である。 連日報道された被害の様子も報道の幕引きと同時に人々の関心と記憶から少しずつ遠のき、日々の生活の中に埋もれていくのだろうか。被災者への支援はこれからも続く。グローバル社会の隣人として私たちにできることはこれからが本番かもしれない。 息子はプーケットで、友はスリランカで惨事に遭遇。無事を感謝しつつ、同じアジアの隣人として私にできることを考えたい。 (2004年 11月) さいたま市では30代40代の人口が増え続けている。保育園、学校が足りない。学区によっては文教地区を売り物にマンションがすぐ完売するとか。 行政にとっては全市で8校ある過大規模校の解消は大きな課題である。 その内の一校が新設校の設置により解消すると思いきや、学区を移動させられる児童保護者の猛反対にあう。何倍にも増える通学時間、新設校ではなく押し出し式に隣の古い学校への移動、評判も芳しくない、そもそもマンション購入も今の学校に通学するため…と抗議が殺到。 適切な用地を確保するのが厳しい現状で、これからも新設校設置のたびに学区問題でもめるのだろうか。教育委員会も保護者側も双方の事情を理解しあい、譲り合いの妥協線を見つけるしかない。それには十分な時間をかけての協議が必要。 それにしても移動させられる側にとっては、何か一つでもメリットがなければ納得しがたいのが人情かも。時代を読みとり、行政に画一的でない柔軟な発想と知恵を期待したい。 (2004年 9月) 600メートルの世界一高いタワーを新都心に建てようと、さいたま市がタワー誘致合戦の仲間入りをした。知事、市長はじめ議会や各界の人たちが名を連ねた大連合が、100万人署名を集めようと、駅頭にも立つなど、一大キャンペーンに乗り出した。 そんな中、「回覧で署名を求める自治会がある」と苦情があった。「内容がよくわからないのに署名はできない。さりとて自治会のこと、署名しないと変な目で見られかねない」「建設自体に賛否があるのに、自治会の回覧でまわすことに問題あり」等々もっともな意見ばかりである。 『署名』は自分がその動きに名を連ねて賛同するという、前向きかつ責任のある行動。ここぞという場合にはしっかり活用したい。しかし反対ならば、求められても「ノー」という勇気はもっと大事。付和雷同だけは避けたいものだ。 (2004年 6月) 「美しさ」とか「心地よさ」という人間にとって大事な視点が、やっとまちづくりの要素に入ってきた。国土交通省は、自治体が独自の街並み景観を保護するための「景観法」を取り入れるとともに、美観を損なう違法な屋外広告物に対する規制も強化することになる。都市計画法や建築基準法の数値を満たしてさえいればどんな開発をしてもよいという意識はもはや通用しない。 もともと日本人は「借景」という技法を生み出すほど景観には敏感であった。まちの景観は時間の経過とともに人によってつくられる。「景観法」をどう生かしていくかは各自治体と住民の力量になる。ヨーロッパの美しい町並みを想い、改めてさいたま市を考えたい。 (2004年 1月) お正月はわが家に10人ほど友人が集まった。議員になって以来、好きな料理も日常的には手抜きを覚え、ホームパーティなどまったくしなくなっていた。メニューを考え、テーブルのセッティング、器の選択……こんな些細なことに充実感を再発見。料理の腕も衰えなしと自己満足。昔から話題は豊富な面々だが、政治の話にまで及んだのは予想外のこと。世の中が不安だらけだから…?久しぶりの主婦仲間は今それぞれの道で輝き、生活観に根ざした社会的発言が鋭く的を射ていた。 (2003年 11月) 11月にはさいたま市の事務事業評価ができあがり、 これをスタートにいずれは政策の評価につながっていくことになる。 今まで結果があまり問われなかった行政の仕事にも、評価や結果責任が生じる時代になった。 効果・効率を見極め、市民の満足度を高めることに貢献できると期待したい。 事務事業数600件ぐらいをすべて市民の視点で評価する、 とは言っても評価するのは市の職員。 「市民と行政の協働」が歌われる時代だからこそ、各部門ごとに関心ある市民の協力を得て、市民レベルでの評価が必要だと思う。 (2003年 5月)
2期目の議員活動をスタートした。
「住んでよかったさいたま市」を目標に、 市民が納得できる市政を目指して、 行政チェックと政策提言そして問題解決に向けて勉強と行動。 その背後にあるのは市民の声。 それにしても、5000人近い人たちが、 あえて「細川邦子」と書いてくれたことを思うと、 あらためてその重みと責任を実感する。 期待に応えたい! (2003年 3月)
先日、生まれて初めてデモに参加した。 浦和駅前からスタートした、米軍のイラク攻撃に反対するピース・ウォーク。 デモというイメージとはほど遠い。 普通のおじさん、おばさん、おにいさん、おねえさん、そして子ども。 風船を持ったり、楽器を弾いたり、おしゃべりしながらの1時間の行列。 300人から、飛び入り参加で500人に膨れ上がる。 一人のつぶやきは小さいかもしれない。 しかし世界各地で今やその数1000万人に達するという。 (Vol.15 2003 Winter)
最近は元旦からファーストフード店やコンビニがオープンし、 いつでも簡単に食べ物が手に入る。 あらゆる食材も世界中から輸入され、日本はまさに飽食の時代である。 そんな今、お正月のおせち料理をご馳走だと思う人は少ないだろう。 だが、おせち料理は日本の気候風土に合った食材を使い、 栄養学的にもバランスの取れた生活の知恵の結晶だ。 食の安全性やスローフードの意義が見直されている昨今である。 年に一度くらいは手間隙かけて作ったおせち料理を食べながら 日本人の食生活を見直したい。 (Vol.14 2002 Autumn)
住基ネットで個人情報やプライバシ一保護についての議論が盛りあがってきた。 公務員や医療現場などにも守秘義務がある。 ところで日本の病院の診察室に個人情報やプライバシー保護なんてあるのだろうか。 カーテン越しに待っている人たちに医者との会話が筒抜けである。 機微にわたる医者とのやりとりは聞かれたくないのが大方ではないだろうか。 効率よく診察するために患者を診察室の前に並ばせておくのが「中待ち」だとか。 効率化もよいが人には心があることを忘れては困る。 (Vol.13 2002 Summer)
サッカーのワールドカップが終わった。
ルールに詳しくもないのに、テレビの前で大いに盛りあがったにわかサッカーフアンだが、 久しぶりに日本を世界的視野で見ることができたイベントだった。 グローバル化が進み、活動の場が世界に広がるほど、 日本人としての自覚や誇り、そして責任をより強く感じるという。 自国を良く知り誇りを持てることは真の国際人に欠かせない要素とか。 21世紀、世界に通用する国際人が増えることを願う。 (Vol.12 2002 Spring) 議員には選挙がつきもの。自分の支持者の票集めだけに最大の関心が向く人も多い。 選挙の票のお返しに個人的な利益誘導に走った議員も全国にたくさんいる。 一部の人の利益だけを求めるのは政治ではないはず。 これを正さなければいつまでも政治不信は続く。 議員は一票でも多くの票が欲しいのは本音だが、 きれいな一票、よく考えた末の一票であってほしい。 来年4月ははじめてのさいたま市議選挙、 議員定数削減そして行政区内に限った選挙で苦戦が強いられる。 (WEB版 3月〜4月)
桜はさいたま市の花木。満開の桜ほど、気持ちを明るくしてくれる花を他に思いつかない。 桜への想いは日本人特有のものだろうか? 10年20年前に植えた見沼の桜並木も年々見事になってきている。 桜の寿命が60年とすると、その美しさを代々伝えていくには、計画的な植樹が必要なようだ。桜色につつまれた土手にまちづくりを想った。 (Vol.11 2002 Winter) 議員の大きな責任のひとつに説明責任がある。 各議員が本会議場で持つ1票は市民の代表としてのもの。 賛成・反対、いずれの決断にせよ、責任を持ってその理由を説明できなければいけない。 議会決議が市政運営を決定することを考えれば、 各議員の表決は市民に当然公表すべきこと。 議員や議会はもっと議会内の情報を発信すべきであり、 市民も厳しい目で議員チェックをしてほしい。 来年は選挙がある。 (Vol.10 2001 Fall) 10月は視察などの議員活動で全国への遠出が続いた。 議会の委員会視察、個人のものも含め4回。 先進自治体の取り組みは資料でも研究できる。 しかし実際に訪問して肌で感じ、当事者から直接聞く内容は密度が濃く、 文字からは読み取れないものが多い。 百聞は一見にしかず。でもちょっと疲れ気味・・・ (Vol.9 2001 Summer) 選挙続きで市会議員も駆り出されて大変そう。 そういう私はどの組織にも義理や貸し借りがない分、しがらみもない。 名誉欲、私利私欲がない分だけ失うものもない。 失うものがないと怖いものがない。 自分を信じて、応援してくれる人たちを信じて、また大きく一歩前進したい。 (Vol.8 2001 Spring) 最近メールで意見や感想、「ちょっと一言・・・」、「はじめまして・・・」なんて 気軽にコンタクトしてくれる人が増えてすご〜く嬉しい! すみやかに返信するようにします。 夏までにホームページを作成してメールニュースや提示版をつくります。 アクセスしてくれるといいな。 (Vol.7 2001 Winter) さいたま市には一大改革をして欲しい。 政令市として大阪、京都、名古屋、横浜・・・と肩を並べる以上、職員・議員は 市民が主体のまちづくりとは何かを真剣に考え未来像を描こう。 そのために何を為すべきか。 それにしても新市の市長の役割は重く、市民感覚を備えた人を選びたい。 市長選への期待は大きい・・・。 (Vol.6 2000 Fall) 最近、新米議員の私にも相談してくれる人が増えました。 すぐに出来ること、時間を要すること、現状では厳しいこと・・・いろいろですが、 解決に向けて精一杯取り組んでいます。 初心を忘れず、いろいろな人の役に立てるようになれると嬉しい。 (Vol.5 2000 Summer) 新人議員が、まず頭を悩ませ、勉強しなければならないのが、予算・決算です。 数字の意味と中身が、きちんと分かれば一人前だとか・・・。 どこの世界もお金の話がわからないとダメなんですネ・・・。 (Vol.4 2000 Spring) 一生懸命やればやる程、出費がかさむのが市民派地方議員の特徴かも知れない。 何もしなければ結構な議員の収入だが、事務所を持ったり、 ニュースレターや会報を出したりすると大きな費用がかかる。しかしこれも税金。 私一人でなく皆さんに還元する一つの方法と思いたい。私が勉強させていただくのも そのひとつ。いろいろな形で税金がムダにならないよう考えて使いたいと思う。 それにしても議員になったが故の個人的な出費がバカにならない・・・。 (Vol.3 2000 Winter) 年賀状無用論があるが、やはり受け取ると嬉しいもの。 立場上、今まで通り出せなくなって、いただいた人への返礼分のみ。出せなくても、 その人との関係が切れるわけではないのに、一抹の寂しさを覚えました。 年に一度の年賀状は送る相手・送ってくれた相手の顔を思い浮かべながらの 楽しいひとときであることには違いない。 (Vol.2 1999 Fall) 議会に入り不可思議なことが色々ありますが、やっぱり私は私であること、私のやり方、
良いと思ったことを今まで通りの感性で受けとめ行動していこうと再確認しました。 何かを大きく変えることなどできないでしょう。 しかし、私が私であることで周りの何かが変わるかもしれません。 いつの日か、それが連鎖的に大きくなったらすばらしい。 (1999 Summer) 9月の定例議会の一般質問から私の問題定義・提案をしていきます。
皆さんのご意見をどしどしおよせ下さい。 |