細川邦子 プロフィール
1999年、浦和市議会議員として初当選

      1947年(昭和22年3月17日)
       旧浦和市東高砂町で生まれる。

      聖和幼稚園
       1ヶ月間毎朝幼稚園に馴染めず泣きとおしたとか。

      高砂小学校
      小学時代  体は小さいが機敏、内弁慶だったが好奇心だけは旺盛、外で良く遊んだ。「人見知りするが馴れるととても人懐こい」と通信簿にあり。授業中手を挙げたり、多人数の前で話したりを苦手としていた。

      岸中学校
       海外のペンフレンドと片言の英語で文通。手紙が「外国」を運んでくれた頃。世界はまだまだ遠く国際化など夢の時代。

      浦和第一女子高等学校
      高校時代  文学少女ではないがあらゆる本を読んでいた。映画(洋画)に凝って名画座に通った。夢見る頃だったのでしょうか。この頃、読んだ本・観た映画「風と共に去りぬ」が縁でアメリカのジョージア大学に留学する。

      米国ジョージア大学(ジャーナリズム学部)大学時代
       初めて真剣に勉強(しないと卒業できないから!)その甲斐あって3年で卒業できた。実は日本でのニュースキャスター第1号?になるつもりだったのだが・・・。ボランティア活動に参加、開眼する。日本人が珍しい時代なので学校や教会などでの講演依頼も多かった。

      米国家禽産業協会に就職
       年収は同年代では日本企業の倍以上、肩書きは「PR部長」でも部下はいない。大阪万博のとき臨時で頼まれた通訳ガイドの仕事に関心を持ち、同協会を退職。

      通訳案内業国家資格を取得
      社会人  以後フリー契約で外国人の団体を連れ日本全国・世界各地をまわる。竹を割ったような性格の反面、忍耐、我慢、スマイル、サービス精神を身につけた時代でもある。



      26歳で結婚若いお母さん
       その後、夫の留学に伴い再度渡米。子育てと仕事を両立している同世代の米国人女性の姿を目の当たりにする毎日であった。この時代の経験が今日の細川邦子の原動力のひとつでもある。

      32歳で帰国
      家族と  後20年間毎年日米を往復。子育て・専業主婦の傍らPTA・ボランティア活動に参加、英語教室を開く。そして市議会議員に・・・。




      活動
      • 市政とくらしを結ぶ会・代表
      • グループゆう・代表
      • 浦和国際交流市民の会・初代代表
      • 浦和ホームヘルプボランティアの会・会員
      • 高齢社会をよくする女性の会・会員
      • ぼけ老人をかかえる家族の会・会員
    家族
     夫と子供3人+雑種犬

    好きなこと
    •  読書(乱読)
    •  旅行(スケジュールのないほうがいい)
    •  演劇(さいたま芸術劇場に出たことがありますが内容は聞かないで下さい)今は時間がなくてもっぱら蜷川作品を鑑賞するのみ。
    •  食べること(安くて美味しい場所を教えて!)
      飲み会も(お酒が特別好きなわけではないが、結構強い)
    •  友達とのおしゃべり



市議会議員になった経緯
     「選挙に出ることになった」と友人・知人に知らせたら、皆びっくり。でもすかさず「うん、向いてるよ、ぴったり」というのが大方のコメントでした。なんで「びっくり」、なんで「ぴったり」なのかは分かりません。ただ、私自身、人生ってわからないもんだなぁと思っています。

     ふり返れば25年間の専業主婦・3人の子育て生活を通し、社会に対する疑問や危機感など、随時問題意識はもっていました。例えば教育の問題。子育て期間の20年、わけあって毎年2ヶ月の滞米生活をした結果、日本の社会・学校や地域・家庭が抱えている問題が、年を追って外から客観的に見えてきたように思います。

     また夫が高度成長期の企業戦士ともいえる典型的なサラリーマンだったため、経済最優先・男性中心の社会構造が一般家庭に及ぼす影響も肌で感じました。そしてアルツハイマーの母と一級の障害者になった父の自立した生活を側面から見守り、高齢者問題に取り組みました。日常生活の中で、このまちの「ここがちょっと変、こうすれば良いのに」という思いもたくさんありました。

     子供の手が離れるに従い、本格的な社会復帰を試みましたが、社会はまだまだそんな家庭と仕事を両立させようという女性に冷たい時代でした。そこで許された時間をボランティア活動と自分の再教育に向けました。

     その間、様々な出会いがあり、その一つに市川房枝政治参画センターがありました。それまで政治に大した関心がなかった私は異文化に惹かれるように参加を申し込みました。そこで初めて、先進国といわれ、米国に次ぐ経済大国の日本が、女性の政治参画では、世界水準をはるかに下回る(124位)ことを知りました。

     長い間の男性中心の政策、そして生活者の視点の入らない政策の弊害が明らかになるにつけ、いつの日か市川房枝さんの推奨した理想選挙を通し、是々非々の姿勢を貫ける市民の代表、特に女性を議会に送りたいなぁと思うようになりました。しかし、自分にできないことを人に勧めるわけには行きません。結果として、私自身が候補者になりました。

     主婦の素人集団による、地盤もお金も知名度もないままのゼロからの選挙でした。あるのは「私たちの当たり前の感覚が当たり前に通用する市政にして欲しい・・・。」という熱意のみ。

     個人がどんなに努力しても解決できない社会全体の問題は、政治が関わる分野です。現代社会において、個人や家庭の幸せは、社会そして政治とのかかわりぬきには考えられません。まさに「政治は暮らし」そのもの。政治の話が日常会話の中にでてくるようにならなくては・・・。政治を良くするのは市民の関心とチェックだと思っています。

     そのために、一人でも多くの人に関心を持ってもらえる、分かりやすい市政に向けて取り組んでいます。



私のスタンディングポイント
    市議としての私のスタンディングポイントを別ページにまとめてあります。CLICK⇒

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